« June 2004 | Main | August 2004 »

駆け込み乗車はやめようね

あぶないってば20040730_1815_0001.jpg

| | Comments (0)

判例データベース その3

判例の話からそれました。
法律の条文情報が調べらるようになった一方で、じゃあ判例はどうかというとこちらはまだまだであります。
そもそも判例はどうやって見ることができるのでしょうか。
判決になる前の裁判手続、これは自由に傍聴できることが原則です。裁判傍聴の仕方については別のページでね。
で、裁判手続の結果である判決文はどうやってみることができるか。
判決日に傍聴しにいくと、「主文」だけは誰でも聞くことができます。
でもこれではその主文に至った理由がわからないし、すでに終わってしまった裁判についてはお手上げですな。だから判決文をみせてくれーということになる。
判決文は裁判所に行けば見ることができます。
憲法八十二条は裁判の公開を規定してますからね、でもこれが「判決文の公開」の直接の根拠になるかどうかはちょっとよく考えてみないとわかりませんね。

判決文はどうやってみるのか。
まず裁判所に行きましょう。収入印紙百五十円と印鑑と身分証明書が必要です。
東京地裁であれば、民事訟廷記録係の中に記録閲覧室という窓口があるのでそこへ行きます。そこで申請用紙に

・申請年月日
・事件番号  平成○年(ワ)12345号 
・原告名  甲野太郎
・被告名  おかだよしひろ
・閲覧の目的  (その他に○をつける)
・事件の当事者との関係  (第3者と記入)
・申請人 住所 氏名
・閲覧等の部分 (全部と記入)

などを書き込んで窓口に提出し待つこと一時間から数日。記録係の部屋に判決文がない場合は、倉庫まで取りに言って探してこなきゃならないので時間がかかるわけです。全部紙の書類です。それが全部保管してあるのですから膨大な体積に違いありません。それでも原則みせてはくれるわけです。でもですね、すでに困ったことに気づいた方いますよね。
まず事件番号がわからない。自分や知り合いが当事者になっているならいざ知らず、そうでない限りは事件番号なんてわからないわけです。
東京地裁でなら裁判所で事件番号を調べる方法がないわけでもなかったです。14階の民事事件受付のフロアにコンピューターが置いてあって、当事者名等から係属中の事件を検索して事件番号を調べることができました、今はなくなっちゃいましたけど。当事者名の公開は別の項でも触れますが、プライバシーとの関係などありなかなか難しい問題です。
まあ、端末がなくなっちゃったのでもうどうしようもないわけです。
もっとも当事者名で検索ができたところで、今自分で抱えている法律問題と類似の裁判をやってる人の名前なんて知ってるわけないだろうというものです。
じゃあどうすればいいか、ためしに裁判所に電話してみましょう「あのーちょっと交通事故に遭ってしまって、参考になるような判例がないか教えてくれませんかあ・・・」・・・無駄です、教えてくれません。たいていは「弁護士会で法律相談をやっておりますので」「専門の判例雑誌が出ていますからそちらを参考に」てなセリフを頂戴することになろうかと思います「参考になるかどうか」なんてあいまいなこと裁判所の職員がいちいち相談に乗ってはいられませんし、職員はそのような職務にないわけで、あっさり断られても腹を立ててはいけません、逆にそんな質問の相手をまともにしてしまったら違法かつ税金の無駄というもの、そんなひまがあったら今やってる裁判をさっさと進めてくれというものです。

弁護士ならわかるのか
裁判所に行っても埒があかず「弁護士に訊け」といわれたので、じゃ、弁護士に訊いてみましょう。
弁護士に相談します「○○なことで困ってるんですが、裁判は勝てるでしょうか」。こう訊かれると弁護士もつらいところ。「絶対勝てるから私にまっかせなさい」なんていう弁護士はちょっと胡散臭いですね。「勝てませんね」なんてあっさり言われると、なんかやる気なさそうで頼む気しませんね。「勝てるかもしれないし、勝てないかもしれない」なんていわれるとわざわざ相談しにきたのが損した気分ですね。それでも「これこれこういう法律とこういう判例がありますから、勝つのは難しいでしょうね」なんていわるとちょっとがっかりですがあきらめがつきやすくていいかもしれません。
勝敗の見込みはいいから、どんな法律と判例があるの?と弁護士に訊いてみましょう。弁護士は法律の専門家ですから、どんな法律があるか答えてくれます。弁護士自身がそのとき知らなくても調べてくれます。素人には無関係としか思えない法律が重要だったりするので、やっぱり餅は餅屋、専門家に聞くのが手っ取り早い、ちなみに有料ですけどね。法律の専門家の弁護士だから判例にも詳しいです、素人よりは。有名で重要な判決は弁護士の資格をとる時にたくさん勉強しています。弁護士が知らない判決だって、どんな判例があるかどうか、調べてくれます。調べてくれるけど、調べきれるかどうかは保証の限りではありません。なぜなら、弁護士であっても判例情報の収集手段は限られているからです。

さっき裁判所に電話して冷たくあしらわれたときに「専門の判例雑誌がありますから」って言われましたね。そう弁護士はこの「専門の判例雑誌」を見るんですね。
「雑誌」ていうとなんだか少年ジャンプとか週刊新潮とかアンアンとかを連想しますが、そうではなくて、裁判所の判決を淡々と掲載している本が発行されています。これを普通は「判例集」といいます。
裁判所が編集して裁判所の外局(子会社?)である「法曹会」が発行している判例集は、「公的判例集」と呼ばれます。

最高裁判所民事 (刑事) 判例集
高等裁判所民事 (刑事) 判例集
下級裁判所民事裁判例集
とかいろいろあります。

一方完全な民間会社が発行している判例集は「判例雑誌」と呼ばれることが多いです。
判例タイムズ(判例タイムズ社)
判例時報(判例時報社)
これが二大総合判例雑誌
金融分野に限ったものとして
金融・商事判例(経済法令研究会)
金融法務事情(金融財政事情研究会・きんざい)
上の二つと合わせて四大誌と数えられることもあります。

そのほか
労働判例(産業労働調査所産労総合研究所)わたなべがずのりさんのご指摘で訂正
交通事故民事裁判例集(ぎょうせい)
とかいろいろ分野別に判例集が発行されてます。

詳しくはhttp://www.law.kobe-u.ac.jp/citation/04.htmを参照してください。

公的判例集・判例雑誌をどこで見ることができるのか、というとなかなか普通の人には難しい。近くの図書館で気軽にというわけには行きません。
弁護士だったらどうするか、主なものは自分で購入しています。自分で持ってなくても、弁護士会の図書館で閲覧するか、仕事仲間で持ってる人がいればそれを見せてもらいます。
それでもみあたらなければ出身大学の法学部図書館にいけば、閲覧できる場合が多い。みなさんも出身大学に法学部があるなら、困ったときは利用してみるのもいいでしょう。え、母校に法学部がない?そもそも大学出てない?そうですよね。法的災厄は学歴に関係なく降りかかります。こんなとき法学部のある大学を出た人だけが得をするというか、それ以外の人が判例情報にアクセスできないとしたら不公平ですよね。「法化社会」とかいうなら、弁護士増やすだけではなくてそのあたりもしっかり整備してほしいものです。ま、その問題は別のテーマとして置いておいて。弁護士なら大抵は法学部出身ですから、それらの判例集を調べられるとして、調べたらそれで完全かという問題が生じます。つまり「判例集には全部の判例がでてんのかよゴルァ」という問題です。答えをいうとノーです。ぜーんぜん少ないです。

ようやく判例データベースの話に近づきつつ、またまた続く・・・・

| | Comments (2)

太い麺シリーズ

うどんすき
20040723_2026_0000.jpg

| | Comments (0)

判例コメントはだれが書くの?2

5月25日のエントリー「判例コメントはだれが書くの?」については、多方面から反響をいただいた。大別すると「裁判官がコメントを書くことがあるなんて知らなかった」という「へぇ系」と「それ言っちゃっていいの?」という「心配系」の二つである。
「へぇ系」は、まあそのまま新鮮に驚いていただくとして、不可解なのは「心配系」である。僕は別に心配されるようなことはなにもしていないのだから。まあ、前回の記述が短かったこともあるし、心配してくださる方のためにも、ここで少し補足しようと思う。

「それ言っちゃっていいの?」というご心配の背景にもいくつか種類がある
裁判官のアルバイト行為を暴露しちゃっていいの?
判例雑誌社の営業妨害にならない?

まず前者だが、確かに公務員は「副業」は禁止されているかもしれないが、それは特定の企業の取締役に就任したり、あるいは夜な夜なバーテンダーのアルバイトをしたりということを禁止しているはずだ。つまり、公務員が特定の企業の利益に連なるようなことがあってはならないし、夜更けまで副業して本業に差しさわりがあってはならない、というのが本旨だろう。

このような心配をされる背景には、某出版社が某役所の公務員グループに監修を依頼して発行した冊子の実態が、実は監修作業なんか何にもしてないのに「監修料」として何千万円もうけとり、それを飲食にまわしていたのをとがめられた事件、これと混同している面がないだろうか。詳しい金額はそれこそ企業秘密だろうし、私は忘れてしまったが、あの濃い内容の原稿にしては驚くほど安いと思う。例の事件のとは基本的な構造が違うのだ。

それに執筆という業務の内容の特殊性もある。判例コメントを執筆するというのは、きわめて公益性の強い行為である。最高裁はwebサイトで主要な判決文の公開を始めた。これはこれで素晴らしいことではあるが、あれは判決文だけなのだ。判決文だけ見ても、なにがなんだかわからないことの方が多い。判決を判例として消化するには、どうしても的確なコメントが必要なのだ。
そもそも、弁護士や学者などの専門家が、判決文だけみてもよくわからないからコメント付の判例雑誌を購入するのである。ということはたとえプロの法律家であってもなまはかなレベルでは、あのコメントは書けないということだ。たとえ学者であろうと、あの的確で要領を得たコメントは量産することはできない。あれは裁判官でなければできないのだ。

とすると、裁判官が民間雑誌に判例コメントを書いて、相応(いや安すぎ)の報酬を得たからといって禁止される「いわゆる副業・アルバイト」にはあたらないと言わざる得ないだろう。もし執筆がだめなら、判例雑誌に限らず、法律学の専門書はほとんど発行できなくなってしまい、社会的損失は著しい。裁判官が「実務家教員」として、裁判所から派遣されて「民間(私立大)」の法科大学院で教鞭をとろうという時代に、判例コメント執筆が「兼業・副業」にあたるという見解があれば、それこそお門違いもはなはだしい。だから別に前回の記事は、「裁判官の『違法な』アルバイト行為」を暴露したことにはならないので、○○さん、安心してください。

二点目の、判例雑誌社の営業妨害にならないかという点について。
まあ、いきなりネットにあんな記述が登場したので、びっくりした関係者(執筆する裁判官・出版社・読者)はいるだろうが、なにも妨害などしていないから、○○さん、心配しないでください。どちらかというと、いまある多くの判例雑誌の内容について、信用力を増幅させ、営業に寄与したと自負するくらいである。

なにしろ、一般の新聞の判例報道の信用ならないことはなはだしい、司法記者クラブで配布されるニュースリリースをそのまま報道しているならまだしも、「識者のコメント」もどうも内容が変だと思ったら、その識者が詳細にしゃべったコメントが極端に編集されてしまっているらしきことなどよくあることで、そもそも記事を書いている記者が民事裁判と刑事裁判の区別すらついてないこともあるのだ。それに新聞・週刊誌の判例報道は、どうにも偏向している場合が多すぎて、とても信用できるしろものではないのだ。

そこへいくと判例雑誌のコメントの的確性や中立公正ぶりは際立っている。この事実を担保しているのは、「ほとんどのコメントを裁判官『経験者』(元裁判官)が書き、時には担当裁判官が書くこともある」、という事実だろう。
たしかに、あの記事は無記名だから、編集部が最終責任を負う文章である。だからといってあの文章をもし出版社の編集者が執筆していたら、誰がその内容を信用するだろうか。しかし、いわば「下書き」はそれなりの執筆者が書いている、ということがすでに一部では周知の事実で、それゆえ判例雑誌は信用に値するものとされるのだ、という見解を補強したに過ぎない。
もし私の経験に反して、多くの判例雑誌のコメントは「実は編集者が書いちゃってるんですよと」いう事実があるなら、私はあの記事を即刻削除し、そして判例雑誌を信用するのをやめなければならないなあと思っているが、幸いそのような指摘はまだいただいていない。

ところで裁判所は、画期的と思われる判決は、判決文だけではなくて、的確な判例コメントをもっと広く、責任をもって何らかの方法で公示するように努力すべきなのではないだろうか。「最高裁判例解説」があるじゃないかとのご指摘もあるだろうし、それはそのとおりであるが、最高裁判決だけで件数が少なすぎるし、時間がかかりすぎる。
裁判の効力は当事者限りのものではなく、たとえ下級審の判決でも「法創造機能」が認められるのは周知のとおりである。だとしたら、この「創造された法であるところの当該判決」にはいかなる主旨や意味があるのか、国民全体にできるだけわかりやすく周知されるのが理想だろう。
判決本文中に、当事者が主張していないことを書くのは弁論主義に反するから、そこに解説めいたことを書くのは不可能だろう。ならば、当該判決が、いままでの判例の流れの中にあって、どのような位置づけになるのか、担当裁判官が責任をもって判決とは別にインフォメーションをする責任があるのではないだろうか。

別稿で触れたいが、僕は、裁判所は判決を「原則全件」ネットに載せるべきだと考えている。トピカルな事件を選んで公表するのではなくて、プライバシーなどで公表できないものを排除して、すべてネットに載せるべきである。そのための技術的(機械技術的要素だけでなく、「判決文の表記方法」などの様式を含めて)困難はそれほど高いとは思われない。日本が法科大学院制度を取り入れ弁護士を増やし「法化社会」を目指すのであれば、判決の公開は基本的なインフラのはずである。

インターネットの普及にともなって、いくつもの法律系出版社が、オンライン判例データベース事業への進出を窺っている。判例データベースを構築するには、「判例を集める」「判例を評価する」「判例を解説する」「判例集を発行する」というフェイズがある。コンピューターとネットの発達で、「集める」と「発行する」はきわめて容易になった。しかし、「評価する」「解説する」というシステムを構築するには、大変なコスト(時間・資金・人的資材)が必要になるはずで、新規参入はむずかしいだろう。
それでも「みえない障壁」があるなら取り除いた上で、裁判所は入札などにより、しかるべき業者に解説付の判例集を発行させてもいいのではないだろうか。それによって、日本の法情報の環境が改善されることがあれば大変に喜ばしいことである。

新旧判例出版各社にはぜひともがんばっていただきたいものである、また、裁判所・裁判官をはじめとする法曹実務家の皆さんには、ぜひともそれを強力に支援していただきたいものである。

| | Comments (1)

どこにあるんだ法律書2 新宿紀伊国屋書店

新宿駅から徒歩圏で生まれ育った私にとっては、本の街といえば新宿、新宿と言えば本屋とヨドバシカメラの街であった。

自宅から一番近い書店は、小田急デパート11階にある三省堂書店だった。
胸くらいの高さの書棚のうえに、さらに建て増しする形で書棚が上のほうまで継ぎ足してあった。足元から胸の高さまではたて積みで、胸の高さのところに平積みのスペースがあり、またそこから上部はたて積みに陳列されるという変則的な書棚だったから、書籍の収納数が多く平積みの本が目の前に並んでいて本選びが楽しかった。「ノート」をとるのにもちょうどいい高さだったし、従業員が忙しすぎたのか寛容だったのか、座り込んで本を読んでいてもなにもいわれなかった。中学生のころはここで本を立ち読みするのが大好きだった。
高校生になると生意気にも、本を購入してから喫茶店で買ったばかりの本のページをパラパラと眺めるなんてこともやりだした。当時三省堂書店のすぐ横に大きな窓がある喫茶店があって、窓際の席に座ると西口のロータリーとスバルビルの向こうの高層ビル、そして高層ビルの間に沈む夕日がなんとも綺麗でとても大好きだった。
その喫茶店も小田急デパートのリニューアルで書店が10階に移動すると同時になくなってしまい、夕日を浴びながら本を読むという至福の時間は奪われてしまった。
ちなみに最近の再リニューアルで、10階の三省堂書店よこに昔のような喫茶店が復活した。きっと以前の喫茶店にたくさんのファンがいて要望が多かったに違いない。皆さんも一度いってみてください。
リニューアルした三省堂書店は普通の書店になってしまった。法律書も多くないからここではこれ以上取り上げない。三省堂はそのうち神保町本店についてコメントするつもりである。

個人的なノスタルジーは別として、新宿で書店といえば「紀伊国屋」である。
新宿駅東口から新宿通りを伊勢丹に向かって徒歩二分、新宿本店がある。
地下と1階の奥には化石や地図の専門店があって、おまけに五階にはホールまであって、書籍だけじゃないなにか特殊な雰囲気が漂う書店である。道路に面してエスカレーター、その横には新刊書売り場がある。この売り場、たしか昔は雑誌売り場だったと思う。でもいまは中止になった新宿歩行者天国から流れてきた客の冷やかし立ち読みに音を上げたに違いない、雑誌はエスカレーターを上った2階に移動してしまった。
エスカレーターといえばこの書店には、下りのエスカレーターが存在しない。
雑誌でタウンガイドやグルメ情報を立ち読みしようとエスカレーターで2階に上がると、もう降りられないのである。そこで油断してつい目の前の上りエレベーターに乗って3階にあがる、そこにも下りのエスカレーターはない、また油断して4階へのエスカレーターにのってしまうと、こんどはもうエスカレーター自体がなくなってしまう。上でも下でも移動したければ、混雑する店内の狭い階段か、もっと混雑するエレベーターを使わないといけないのである。
このエレベーターが3台あるのだけれども、小さくて狭いことこの上ない、狭いうえになんとエレベーターガールまでいるので、なおさら狭くなる。ここにエレガはいらないんじゃないかと思わせること、銀座伊東屋のエレベーターガールに次いで理不尽な印象である。
そうはいっても上手いぞ紀伊国屋、一度足を踏み入れた客は簡単には帰さない、よっ商売上手。ところが店内は油断して足を踏み入れてしまった客でごった返しているのでメチャ混みで、本選びどころではなくなっていることにも気づいてほしいところである。と、切に思っていたところようやく気づいてくれたのかどうか、新宿南口にもう一店、大規模な「南店」を出店したのが一昔ほど前のこと。本店前の道を南口方面に、ぱちんこ屋、ゲームセンター、成人映画館、成人玩具店、場外馬券売り場、ヴィクトリアスポーツ、など混沌とした町並みを通って徒歩15分、なんとも中途半端な距離に「南店」がある。

紀伊国屋書店新宿南口店は高島屋タイムズスクエアにある新しいビルだから、エスカレーターも上下についてるし、面積も広いし、本店よりもゆったり本が選べる。ただし客が少ないのは売り場面積よりも立地の問題かも知れない。高島屋タイムズスクエアは確かに新宿南口にあるのだが、ここは新宿南口をでたら一つしかない狭い横断歩道を渡って、高島屋デパートを抜け、東急ハンズを抜け、渡り廊下を渡ってやっと到着するというロケーションである、「新南口」を使えば少しはましだが、「新南口」自体が新宿駅の端っこの埼京線のホームのさらに端にあって利用頻度は低い出口である。

ここまできたらJR代々木駅のほうが近いんじゃないかと思ったら、まさにそのとおり、南店の目の前にはもう代々木駅のホームが見えているのである。店の一階出口前にも「代々木駅300メートル、新宿駅500メートル」という案内板があるから、この事実は紀伊国屋も認めるところであろう。

さて、本店1500坪、南店1234坪、あわせて2500坪超と、とてつもなく大きい新宿紀伊国屋だからとてつもなく品揃えがいいかというと、あにはからんや、そうでもないのである。「新宿紀伊国屋書店」とひとくくりにしてしまいたくなる微妙な近さだが、南店は本店の出城ではなく独立した支店なので、本店と同じように一通りの商品バリエーションを備えている。それも1000坪超の大規模支店だから洋書から法律書から学習参考書までなんでも置いている、ということはつまり、本店と商品がダブっているのだ。

法律書売り場にもその傾向は見て取れる、本店と南店で在庫の傾向は違うのだが、いまいち品揃えがよろしくない。そもそも、ビジネス書と法律書をごっちゃにして並べているので、純粋な法律書の売り場面積は驚くほどすくない。ジュンク堂だと図書館でしかお目にかかれないような書籍を売っていたりするのだが、紀伊国屋ではほとんどそういうことはない。
本店1500坪、南店1234坪、つまり新宿には池袋ジュンク堂2000坪にかなわない紀伊国屋書店が二店もあるということだ。

ありきたりな書籍はどちらの店にも置いてある一方で、在庫の少ない本はどちらかにしかないことも多い。南店で在庫がない本も、本店には在庫があることもある。カウンターで照会すれば調べてくれるが、本店では取り置きをしてくれるだけで、持って来てはくれない。本店まで一キロ近く歩くか、代々木駅から一駅電車にのるか、どっちにしてもなんか馬鹿らしくなってしまうのだ。

どうせなら、洋書なら南店、法律書なら本店、理工系なら南店、学習参考書は本店などなど、割り切って特化してもらえないだろうか。そうすれば面積は同じでも在庫を圧縮できるから、レアな在庫を数多く置くことができるはずだし、池袋ジュンク堂に対抗できるようになるのではないだろうか。

いっちゃ悪いが池袋はイメージが悪い、知的な印象がまったくない、本を買出しにいくのに池袋か新宿かとなれば、普通は新宿に足が向くはずなのである。だから新宿にある天下の紀伊国屋は、安泰なはずなのだ。なのに僕は勤務帰り新宿を通過して池袋のジュンク堂に行ってしまう。おまけにこの冬には、ジュンク堂が新宿に進出するという。旧三越新宿店跡のビルに入るというから、紀伊国屋を上回るような面積は取れないはずだが、池袋店のような割り切った売り場構成を仕掛けてきたら紀伊国屋はいよいよ敗北してしまうかも知れない。

それと、紀伊国屋書店の店内には椅子がない。いまどき一個の椅子もないなんてどうかしている。新宿駅から散々歩いて、広い店内をたくさんあるいて気分が悪くなっても、店内に喫茶店すらないので、トイレ以外では腰を下ろす場所が皆無なのだ。どうにかしてほしいものである。

| | Comments (1)

名店BAR、実は閉店

僕はいわゆる「のんだくれ」で、お酒は、何でも飲めれば嬉しいし、どこで飲もうがかまわない。ところが、どこでもいいと思うと、かえってお気に入りの店を絞るのが難しい。気に入ったバーを見つけるのも難しい。
数少ないお気に入りバーに渋谷「コレヒオ」という店がある。店名はギリシャ語の「学校 COREGIO」に由来する。おお、ギリシャ語、なんか知的な感じ。

ところがこの店、場所が悪い。なんとあの「109」の8階にあるのだ。
「109」そう、コギャル(死語)の聖地「まるきゅー」レストラン街の端に、なぜがバーがあるのだ。私のようなオジさんは、店にたどり着くまでいくつもの試練と戦わなくてはならない。なにしろビルのなかはコギャル(死語)だらけなのだ。エレベーターだって「なにこのオヤジ、臭そう」みたいなコギャル(死語)たちの視線に耐えて狭い箱に乗り込まなければならないし、それがいやでエスカレーターで行けば「パンツ見るなよ」みたいな視線でコギャル(死語)に振り返りざまにらまれる(ような気がする)。コギャルは死語だが例の意味不明なメイクの躾けの悪い子供は、まだ現実にわんさといるのだ、まるきゅーには。
「なんでこんなビルにバーをつくるんだよぉ」と涙を流しながらやっとたどり着けば、そこは別天地、大人のバーなんである。

壮年白髪のオーナーバーテンダーはカクテル界では伝説的なひとで、カウンターしかない狭い店だけれども、常連には文化人風の人も多くてなかなかよい雰囲気。まあ文化人といっても「大手出版社編集と売れない作家」みたいな組み合わせが多くて、あくまで「文化人風」なわけだけれども。

最近、久しぶりに行ってみたら、どうも様子が違う。客が少ない。知らない人がバーテンダーをしてる。バックバーのボトルやグラスはあまり変わってないけど。カウンターの山盛りの胡桃とか、くるみ割り器とか、壁の絵とかがない。でも店名は「コレヒオ」。でもなんか違う。バーテンダーに事情を聞いてみたいが、なんか聞きづらくて、居心地が悪くて一杯で店を出た。
調べて見れば、オーナーとスタッフが丸ごと近くに新しい店を出したようだ。新しい店には近いうち行ってみようとおもう。今度の店名はイタリア語で「郵便局」。こんどはイタリア語かあ。「コレヒオ」の店名が変わってないから、オーナーは同じでどちらかが二号店のような扱いなのか、居抜(いぬき)で暖簾(のれん)ごと売却したのか、事情は知らない。

事情はどうでもいいが、中身が変わったのなら、名前も変えてほしいと思う。あのオーナーとスタッフがいなければ、僕の行きたかった「コレヒオ」ではないから。

まあいい、今回はまだいい、もっとひどい思いをしたことがある。
池袋にそこそこよさげなカクテルバーがあった、名前は忘れた。入り口の扉は、脇の壁の穴に手をかざさないと開かないという、ちょっと怪しい細工がしてあって、一見で入るのは勇気がいるが、至極まともなカクテルバーだった。バーテンダーも実に親切で「モルトウィスキーが好きなら、うちよりいい店が近くにありますよ」と、「もるとや」を紹介してくれたりした。ひところは友人を連れて行ったり、一人でいったりしていたが、ほかの店の開拓で忙しくて足が遠のいていた。
あるときその店に二年ぶりくらいに行ってみた。女性の連れがいたので、常連気取りでカクテルバーにエスコートした次第である。が、なんか様子が違う。バーテンダーが知らない人なのは、二年ぶりだししょうがない。でも茶髪、というか金髪。髪の色はいいが、Tシャツを着てる。??。いきなり差し出されたおしぼりで手を拭いているとバーテンダーが一言「お客さん、久しぶりですよね」
うーむ、さすがプロ。二年ぶりでも客の顔を覚えているのかぁ、常連気取りでエスコートした甲斐があったなあ、しかしそんなに常連てほどでもなかったのに、それにこんなバーテンダーいたかなあ。連れに話しかける「ここはカクテルバーだから、なんでも好きなカクテルを・・・・」といいながらバックバーを見ればリキュールがずらりと・・・、あれ・・・、「グリーン鏡月(焼酎)」がずらりと・・・・。おや、カラオケのモニターが・・・・。ちょっと冷や汗。バーテンダーは続ける「お客さん、うちは去年改装して、ボーイズバーになったんですよ」
ボーイズバーというのがどういうバーなのか僕は知らない、知らないがとりあえず女性連れで来る店ではないようだ。「あー、えーと」絶句である。正直スマンカッタ。悪いが帰る、ということで、おしぼりだけ使わせてもらって店を出た次第。店を出て振り返れば、「改装」なんてしていない、店名も外観も看板まで同じ。ただし看板の端に「ボーイズバー」と書き加えてはある。書いてあるけど、書いてあればそれでいいのか。そこまで中身がかわったなら、店名変えるとか、もう少し客のことも考えていただきたい。
連れがいるのに恥かいちゃったじゃないか!

「中身が変わったなら外見もそれとわかるように」この命題についてはちょっとまた別に触れたい。


| | Comments (2)

駐車禁止

お札で済んで良かったですね。
僕はレッカーされたことがあります。原付を。
20040710_1125_0000.jpg

| | Comments (0)

ダ・ヴィンチ・コード読了

ダ・ヴィンチ・コード読了しました。もう二週間くらい前の話ではありますが。
面白かった、のは確かですが、ちょっとまあ展開はわかりやすすぎやしないかと思った次第。もう少しひねった結末でもいいだろうとおもいました。
結局、日経の書評でも指摘されてましたが、本書は、小説の様式を持った「トンデモ本」ということでしょうか。
ストーリーの核になる様々な「衝撃の真実」は、そのなかのいくつかは、近時では学会でも定説になりつつあるものもあるとはいえ、多くは各種のトンデモ本で何度も取り上げられてきた(小説中でも何冊か紹介されている)説ですね。

死海文書(しかいもんじょ)が公表されて以来、初期キリスト教については初心者向けの本もたくさんでてますし。古めのベストセラーだと「イエスのミステリー」とか最近だと「死海文書の謎を解く」とか。そういえば、大ヒットアニメのエヴァンゲリオンが「死海文書」をキーアイテムにしたらしくて、一時期は酒場でキリスト教の話をしてて「死海文書が・・・」なんて言おうものなら隣の席のおにいちゃんが「いいっすねぇ!、死海ぶんしょ、エヴァでしょ!第○話みましたかっ?」とか鬱陶しいことこの上ないこともありましたっけ。

まあ、トンデモ本ワールド全般については「と学会」にお任せするとして。
最近読んだトンデモ本について少々・・・
cover

秋庭俊編著「写真と地図で読む!帝都東京地下の謎」(洋泉社)
「東京の地下鉄網は巨大な陰謀の遺物」という説を紹介するトンデモ本です。この本には、前作があって、「帝都東京・隠された地下網の秘密」「帝都東京・隠された地下網の秘密2」(いずれも洋泉社)の内容をリライトして写真を加えたものが、今回の「地図と写真で・・」です。私、一冊目は発売と同時に買ってしばらく積読、一年位してようやく読了したとおもったら折り良く続刊がでたので即購入・即読了しました。
で、何がいいたいかというとこの著者、文章が下手、ということなんですな、ひとのことはいえないけど。
「東京の地下鉄網は巨大な陰謀の遺物」なのはかまわないし、実証データもあってかなり興味深いのだけど、文章がハチャメチャで、何がなんだかわからない。二冊続けてよんだら頭が痛くなりました。
地図についての疑惑の説明をしてるのに、その地図そのものを掲示しなかったり、掲示した地図にきちんとした矢印や補助線を書いていなかったり、挙句には「この地形はワニそっくりだ」「この地形はロボットそっくりだ」とか、意味不明な記述が・・・地図のどの地形がワニやロボットにみえるのか、きちんと図示していないから、まったく意味不明。
これは著者の責任でもあるけれど、編集者も責任大だなあ、誰かにリライトさせればいいのに、学研ならそのくらいやるぞとおもっていたところ、発売されたのが三冊目「地図と写真で・・・」
きっと洋泉社の編集者がもったいないとおもったのか反省したのか、ようやく地図や写真を用いて見やすい本ができました。内容は前二作と同じ。というか前二作を読むときは、脇において参照しながらにしないと、解読不能、一種のサブテキストですな。
これはこれで「出版社の巨大な陰謀」だったのかもしれませんが・・・・

| | Comments (0)

« June 2004 | Main | August 2004 »