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情報ネットワーク法学会雑感

慶応大学で開催された、情報ネットワーク法学会を傍聴した。
二つのシンポジウムが並列で開催され、そのひとつ「P2P」をテーマとするシンポには、2ちゃんのひろゆき氏もパネラーとして参加していたからか、大層な盛況で、僕もミーハーだから顔だけ見に行ってみた。Tシャツ姿で、壇上に上がったあとでも、いろんな人から名刺を差し出されて困惑していたのが印象的だった。顔だけ見てもう一つのシンポへ。

テーマは「法情報検索教育の現状と課題」。内容は、えーっと、日本のロースクール教育についてのぼやきといった感じで、法科大学院は、法情報教育とか、ローライブラリアンまで気も手もまわらないんだろうなあと、実感した次第。
それよりも気になったことがあったので、一筆。

シンポでは「欧米の法律系データベースの充実はすばらしい、日本はまだまだ」という、いつもの話題も飛び出した。
そんなシンポジウムが一通り終わって、会場から質問があった。シンポのテーマとは少し離れていたか、マイクを取った国会図書館の法律文献情報担当者と思しき人物がこう発言をした「予算・人手の問題もあり、国会で蒐集する法律文献の書誌情報から、大学院生用の紀要を対象外にしようという意見もあるのですが、みなさまどうでしょう(要旨)」と。国会で発行している法律分権情報といえば、あの白い表紙の冊子体で、しばらくすると第一法規の「法律判例文献情報CD」に収録されるデータをさすと思われる。

驚愕した。「どうでしょうっ」て、そりゃトンデモないでしょう。予算に限りがあるのは仕方がないけど、いまさら収録点数を削ろうなんて・・・。
それを受けてパネラーの齋藤北星大学助教授が「有名な法律雑誌でも、過去にさかのぼると収録されていないことが多い・・・(後略)」と答えると、国会図書館の担当者は「近時採用書誌が広がってきているが、一万点程度が収録の限界なので、どこかで線を引きなおさないといけない(要旨)」「過去にさかのぼって累積させるのは非常に困難(要旨)」とのことであった。
手間がかかるのはわかるが、テクノロジーで何とかならないのか?そういう問題でないというなら、手間をかけない仕組みがつくれないのだろうか。

国会図書館には「納本制度」がある。およそ書籍を出版した出版社は、一冊を国会図書館に寄贈しなければならないという法律だ。出版社にそこまでやらせることができるなら、ついでに、「出版社は出版した書籍の書誌情報を電子媒体で国会図書館に収めなければならない」との法律でもつくったらどうか。それなりのデータフォーマットを決めておけば、送られたデータをしかるべく処理するのは訳もないはずだ。あっという間に完璧に近い書誌データベースの構築が開始できる。もちろん書籍の本文ではなくて、表題や著者名や目次データなどの「書誌情報」だけでいい。

過去の累積データが欠けているいる点についても、そのフォーマットに準じて、各出版社が自主的にデータを提供できる窓口をつくったらどうか。出版社が自分の雑誌の過去データが収録されてないことを残念に思うことはあっても、収録されたら困ると思うことはほとんどないはずだ。データベースに登録されるのであれば、手元にある自社のデータを喜んで提供するのではないだろうか。これなら過去にさかのぼる書誌データもあっというまに集まるし、ほとんどカネ手間もかからない。

問題があるとすれば、件のデータベースが充実するということは、商品としての第一法規「法律判例文献情報」の内容が充実するということだから、第一法規と競合関係にある出版社にとっては嬉しくないことかもしれない。

しかし、テクノロジーの進化で「データは集まりすぎて取捨選択が大変」な時代がくるのかとおもったら、収録そのものをやめるかも知れないとは。時代に逆行することななんとしてもやめていただきたいと、思った次第。

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どこにあるんだ法律書 4

どこにあるんだ法律書 東京駅界隈

新宿駅近辺を長らく活動領域にしていた僕にとって、東京駅は、山手線の反対側の遠くにあるオフィス街との印象がつよかったから、本を買いに行くのにわざわざ遠征をすることはあまりなかったので、それほどの思いいれはない。
でもお父さんたちの世代にとって、ビジネス書を買うなら八重洲ブックセンターが、洋書を注文するなら丸善が、相当なステイタスシンボルだったに違いない。
今だって、新聞の片隅に「今週のベストセラー(八重洲ブックセンター調べ)」なんて記事があるとつい見てしまうし、このランキングに顔をだすために、著者や編集者がリュックを背負って八重洲ブックセンターで十冊単位でまとめ買いしてるらしいなんて噂はいまだによく聞く。
僕だってかつて共著が出たときに、なにしろ共著者が多かったのでそれぞれが自分用に数冊買うだけでかなりの数になることが見込まれたから、「みんなで日を決めて、一斉に八重洲ブックセンターに注文出しましょうよ!」なんて提案をして、顰蹙を買った経験があるくらいだ。

そんな八重洲ブックセンターは1978年オープン、1200坪に在庫150万冊はむろん最大級だ。法律書の品揃えも、わざわざけなすほどではない、規模なりに充実している。
だがしかし、なんかこう、法律書売り場が「暗い」のだ。フロアの端っこにあるせいか、照明が古臭いただの蛍光灯だからか、壁の上の方まで書棚がしつらえてあって、たくさんの本が並んでいるのだが、その商品にきちんと照明が当たっていないのである。店内を歩いていて、あんまり楽しくないのである。
それと、この本屋の決定的な欠点は、書棚の並べ方が変則的で、歩きにくいということである。フロアマップhttp://www.yaesu-book.co.jp/floormap/2f.html をみればわかるが、エスカレーターと反対側にある書棚は、なぜか斜めに並べられているのである。はたしてこの配置にどんなメリットがあるのか、よくわからない。私だけかも知れないが、頭の中に地図を思い描くとき、東西南北なり、地図上に四角いマス目を思い描いて空間を把握する。ところが、八重洲ブックセンターの書棚はその原則に反しているから、さして広くもない法律書売り場でよく道に迷うのである。つまり、さっき手にとってみたあの本をもう一度みたいなあと、元の場所に戻ったつもりが、なかなか見つからないのである。フロアの「あの辺」というイメージと、斜めになった通路へのアプローチがずれているのが原因だろうと思う、迷ったといってももちろんすぐにたどり着けるのだけれど、ストレスがたまるのは確かである。同様のストレスは一階の新刊雑誌売り場でも同様だ、http://www.yaesu-book.co.jp/floormap/1f.html もうわけがわからない。
開店当時の、いまとなっては「ふるい時代のモダン」なフロア配置なのかもしれないが、いい加減やめたらどうだろうか、ちっともおしゃれじゃないし。書棚は壁に対してきちんと直角に置いてもらいたい。
それから、文庫本、コミック等は、本店での取り扱いはなく、500メートル程はなれた地下街の「八重洲地下街店」に行かないといけない、ちょっと不便だし、この点はホームページ等に明記していただきたいものである。
蛇足だが、私は二宮金次郎は尊敬している。だから玄関前に二宮翁の銅像が飾ってあるのは、かまわない。かまわないが、「金次郎に金箔をはってみよう」という企画は、いったいなんなんだろうか。いまでもやってるんだろうか。金次郎の銅像のまえに、金箔をいれた箱と銭箱が用意してあって、お金をちゃりんといれて、2センチ30円の金箔を買う。これを銅像に貼り付けると「学業成就」なんだそうだ。うまく張り付かなかったときのために、アラビアのりまで用意してある。金次郎だから金箔かあ。しかし修学旅行の集団が立ち去ったあとに、二宮翁の股間付近だけが金箔で輝いていることも一度ならず目撃したことをおもうと、どんなもんかなあと思う次第である。

東京駅近辺の書店で、八重洲ブックセンターと両雄並び立つといえば「丸善」だ。日本橋本店は、東京駅からは少し歩かざるえないのが悔やまれたが、日本橋高島屋の向かいという、好立地だった。それでも、日本橋本店は、それほど広くもないし、八重洲ブックセンターに比べると、法律書も驚くほど少ない品揃えだった。それでもいい、なにしろ丸善の存在価値は洋書にある。外国の法制度を移植した日本の法学者にとって、外国の法律書ほど重要なものはない。そんな本を入手するには、自分で外国まで買いにいくか、知人に送ってもらうか、業者を通して輸入するしかないのだ。
考えてみれば、日本人の海外旅行自由化が1964年、ドル持ち出し規制が解除されたのが1968年、ドル変動相場が始まったのが1971年、プラザ合意で円高になったのが1985年と、いずれもごく最近の話である。洋書を入手するには、最近まで様々な障壁があったのだ。だから個人の注文で洋書を取り寄せてくれる丸善のような書店は、貴重だった。それゆえ、現在中高年世代の知識人ならば、丸善といえば憧憬とノスタルジーを感じるはずである(ちなみに私は感じない、世代が違う)。
その洋書輸入も、現在となってはアマゾンで注文すれば一週間で激安価格で宅配される。アマゾン.com(アメリカ)だけでなく、アマゾン.de(ドイツ).fr(フランス)でも事情は一緒、流通している書籍ならあっという間に届くのだから、丸善の出番はもうないかもしれない。なにしろ、円高になった後も、アマゾンが台頭するころまで、とんでもない為替レートで商売をしていたはずだ。手数料代わりとはいえ、釈然としない思いを抱いた覚えがある。丸善は絶版となった書籍を、海外の古本屋で探してくるサービスを充実させるほかないだろう、これならそれなりの手数料は納得だ。
で、本店在庫の貧弱さゆえに洋書輸入にのみ存在意義のあった丸善も、環境の変化故か、質的変換を決意したようだ。つまり「在庫量を誇る大型書店」への挑戦だ。近時、都心部では大型書店の新設が相次いでいるが、その流れのなかで、丸善は丸の内に巨大な新店舗を出店したのである。もちろんオープン当日に行ってみた。

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圧巻である。法律書売り場も広い、池袋ジュンク堂をしのぐかも知れない。その広い法律書売り場が一階にあって、アクセスしやすいのが嬉しい。そして目を見張ったのが在庫のラインナップである。通常の意味でのレアな在庫もそこそこあるのはもちろん、驚いたのは版元品切れになっているはずの、著名な講座物や記念論文集がいくつも目に留まったことだ。いったいどこから仕入れたんだ?としばし呆然とするが、やがて丸善の意気込みに気迫を感じる次第である。天下の丸善、ビジネス書激戦区、新規大型書店といえば、在庫で勝負なのは明らか。店の倉庫に眠っていた在庫、支店に死蔵していた流通在庫、日販・トーハンの在庫、沽券をかけて在庫をかき集めたようだ。そんな書籍は追加の仕入れは無理だから、行くなら今、急げ丸善へ、ってもう一ヶ月たってるから手遅れかも知れませんが。

在庫もさることながら、店内のきれいなこと、高い天井、大きな吹き抜け、間接照明、とても書店のビルとは思えない。いやほんとに、これ書店用に設計したんじゃないだろうと思う。ビルの企画・設計の時点では、高級ブランドショップでもいれるつもりだったんじゃないだろうか、でも途中でいろいろ事情が変わって、丸善のテナント入りとなった次第、と邪推する。
なんでそう思うか、まず天井が高すぎる、書店には不向きだ。高い天井近くまで聳える書棚に詰め込まれた万巻の書籍、眺めるだけなら壮観だが、手に取ってみようとすると・・・手が届かないのである。担当者は「しまった」と思ったろう、その証拠に店内にはいたるところに移動式のでっかい脚立がごろごろと転がっている。

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書棚の間の通路は広めに取ってあって好印象なのだが、この脚立が邪魔なことこの上ない。そしていざ高いところにある本をとろうと思うと、見当たらないか、誰かが使っている。やっと確保して上ると、これがけっこう不安定で怖い。女性がヒールなどをはいていたり、ミニスカートだったら使うのをためらうだろうと思う。

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(僕の後姿ではありません、念のため)

開店当初の今でこそ、この脚立は数もあるし、ローラーもスムーズで移動も楽だが、あんなものは半年もすればすぐにガタがくる。そのときガタついた脚立引きずってその上に登らされるようなことがあったら、イメージもがた落ちだろうと、今から心配してしまう。そうではない、高い天井は、これからの書店の必須条件なのだ、という哲学があるのであれば貫徹していただきたいが、それだと三階より上の売り場の天井が低いという事実についての説明がつかない。
それから、妙に使いづらいエスカレーターもペケである。書籍売り場の真ん中を、客を誘導するように設置してある、というなら多少歩かされてもまだわかる。しかし丸善丸の内本店のエスカレーターは、巨大な吹き抜けに面して、書籍売り場からはなれたところを、ぐるぐると歩き回らなければならないのである。意味なし、残念。
結局、ここはやっぱり書店用に作ったビル・フロアじゃないんでしょ?白状しなさい。

蛇足で悪いがほめてあげよう。4階の高級文具売場、ちょっと品揃えがよくて、素敵。カフェのハヤシライス、おいしいから好き。

東京駅界隈で、他に書店といえば、東京駅ビル大丸デパート5階に三省堂書店が入っている。法律書はほとんどないが、この書店には店内にカフェがある。おまけにこのカフェには代金を支払う前の、「検討中」の書籍を持ち込んで、じっくり読んでもかまわないという太っ腹ぶりである。さらにここで出すコーヒーは、うまいのである。他の書店(とくにジュンク堂池袋店)も見習っていただきたい。そういうわけで、三省堂大丸デパート店は、ツタヤ六本木ヒルズ店(ツタヤ書店とスターバックスコーヒーのコラボ)と並んで、好きな書店のひとつである。

次回はいよいよ神田神保町

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