判例コメントはだれが書くの?2

5月25日のエントリー「判例コメントはだれが書くの?」については、多方面から反響をいただいた。大別すると「裁判官がコメントを書くことがあるなんて知らなかった」という「へぇ系」と「それ言っちゃっていいの?」という「心配系」の二つである。
「へぇ系」は、まあそのまま新鮮に驚いていただくとして、不可解なのは「心配系」である。僕は別に心配されるようなことはなにもしていないのだから。まあ、前回の記述が短かったこともあるし、心配してくださる方のためにも、ここで少し補足しようと思う。

「それ言っちゃっていいの?」というご心配の背景にもいくつか種類がある
裁判官のアルバイト行為を暴露しちゃっていいの?
判例雑誌社の営業妨害にならない?

まず前者だが、確かに公務員は「副業」は禁止されているかもしれないが、それは特定の企業の取締役に就任したり、あるいは夜な夜なバーテンダーのアルバイトをしたりということを禁止しているはずだ。つまり、公務員が特定の企業の利益に連なるようなことがあってはならないし、夜更けまで副業して本業に差しさわりがあってはならない、というのが本旨だろう。

このような心配をされる背景には、某出版社が某役所の公務員グループに監修を依頼して発行した冊子の実態が、実は監修作業なんか何にもしてないのに「監修料」として何千万円もうけとり、それを飲食にまわしていたのをとがめられた事件、これと混同している面がないだろうか。詳しい金額はそれこそ企業秘密だろうし、私は忘れてしまったが、あの濃い内容の原稿にしては驚くほど安いと思う。例の事件のとは基本的な構造が違うのだ。

それに執筆という業務の内容の特殊性もある。判例コメントを執筆するというのは、きわめて公益性の強い行為である。最高裁はwebサイトで主要な判決文の公開を始めた。これはこれで素晴らしいことではあるが、あれは判決文だけなのだ。判決文だけ見ても、なにがなんだかわからないことの方が多い。判決を判例として消化するには、どうしても的確なコメントが必要なのだ。
そもそも、弁護士や学者などの専門家が、判決文だけみてもよくわからないからコメント付の判例雑誌を購入するのである。ということはたとえプロの法律家であってもなまはかなレベルでは、あのコメントは書けないということだ。たとえ学者であろうと、あの的確で要領を得たコメントは量産することはできない。あれは裁判官でなければできないのだ。

とすると、裁判官が民間雑誌に判例コメントを書いて、相応(いや安すぎ)の報酬を得たからといって禁止される「いわゆる副業・アルバイト」にはあたらないと言わざる得ないだろう。もし執筆がだめなら、判例雑誌に限らず、法律学の専門書はほとんど発行できなくなってしまい、社会的損失は著しい。裁判官が「実務家教員」として、裁判所から派遣されて「民間(私立大)」の法科大学院で教鞭をとろうという時代に、判例コメント執筆が「兼業・副業」にあたるという見解があれば、それこそお門違いもはなはだしい。だから別に前回の記事は、「裁判官の『違法な』アルバイト行為」を暴露したことにはならないので、○○さん、安心してください。

二点目の、判例雑誌社の営業妨害にならないかという点について。
まあ、いきなりネットにあんな記述が登場したので、びっくりした関係者(執筆する裁判官・出版社・読者)はいるだろうが、なにも妨害などしていないから、○○さん、心配しないでください。どちらかというと、いまある多くの判例雑誌の内容について、信用力を増幅させ、営業に寄与したと自負するくらいである。

なにしろ、一般の新聞の判例報道の信用ならないことはなはだしい、司法記者クラブで配布されるニュースリリースをそのまま報道しているならまだしも、「識者のコメント」もどうも内容が変だと思ったら、その識者が詳細にしゃべったコメントが極端に編集されてしまっているらしきことなどよくあることで、そもそも記事を書いている記者が民事裁判と刑事裁判の区別すらついてないこともあるのだ。それに新聞・週刊誌の判例報道は、どうにも偏向している場合が多すぎて、とても信用できるしろものではないのだ。

そこへいくと判例雑誌のコメントの的確性や中立公正ぶりは際立っている。この事実を担保しているのは、「ほとんどのコメントを裁判官『経験者』(元裁判官)が書き、時には担当裁判官が書くこともある」、という事実だろう。
たしかに、あの記事は無記名だから、編集部が最終責任を負う文章である。だからといってあの文章をもし出版社の編集者が執筆していたら、誰がその内容を信用するだろうか。しかし、いわば「下書き」はそれなりの執筆者が書いている、ということがすでに一部では周知の事実で、それゆえ判例雑誌は信用に値するものとされるのだ、という見解を補強したに過ぎない。
もし私の経験に反して、多くの判例雑誌のコメントは「実は編集者が書いちゃってるんですよと」いう事実があるなら、私はあの記事を即刻削除し、そして判例雑誌を信用するのをやめなければならないなあと思っているが、幸いそのような指摘はまだいただいていない。

ところで裁判所は、画期的と思われる判決は、判決文だけではなくて、的確な判例コメントをもっと広く、責任をもって何らかの方法で公示するように努力すべきなのではないだろうか。「最高裁判例解説」があるじゃないかとのご指摘もあるだろうし、それはそのとおりであるが、最高裁判決だけで件数が少なすぎるし、時間がかかりすぎる。
裁判の効力は当事者限りのものではなく、たとえ下級審の判決でも「法創造機能」が認められるのは周知のとおりである。だとしたら、この「創造された法であるところの当該判決」にはいかなる主旨や意味があるのか、国民全体にできるだけわかりやすく周知されるのが理想だろう。
判決本文中に、当事者が主張していないことを書くのは弁論主義に反するから、そこに解説めいたことを書くのは不可能だろう。ならば、当該判決が、いままでの判例の流れの中にあって、どのような位置づけになるのか、担当裁判官が責任をもって判決とは別にインフォメーションをする責任があるのではないだろうか。

別稿で触れたいが、僕は、裁判所は判決を「原則全件」ネットに載せるべきだと考えている。トピカルな事件を選んで公表するのではなくて、プライバシーなどで公表できないものを排除して、すべてネットに載せるべきである。そのための技術的(機械技術的要素だけでなく、「判決文の表記方法」などの様式を含めて)困難はそれほど高いとは思われない。日本が法科大学院制度を取り入れ弁護士を増やし「法化社会」を目指すのであれば、判決の公開は基本的なインフラのはずである。

インターネットの普及にともなって、いくつもの法律系出版社が、オンライン判例データベース事業への進出を窺っている。判例データベースを構築するには、「判例を集める」「判例を評価する」「判例を解説する」「判例集を発行する」というフェイズがある。コンピューターとネットの発達で、「集める」と「発行する」はきわめて容易になった。しかし、「評価する」「解説する」というシステムを構築するには、大変なコスト(時間・資金・人的資材)が必要になるはずで、新規参入はむずかしいだろう。
それでも「みえない障壁」があるなら取り除いた上で、裁判所は入札などにより、しかるべき業者に解説付の判例集を発行させてもいいのではないだろうか。それによって、日本の法情報の環境が改善されることがあれば大変に喜ばしいことである。

新旧判例出版各社にはぜひともがんばっていただきたいものである、また、裁判所・裁判官をはじめとする法曹実務家の皆さんには、ぜひともそれを強力に支援していただきたいものである。

| | Comments (1)